日本映画の黎明期、サイレントからトーキー初期にかけて活躍し、その後若くして夭折した映画監督・山中貞雄。
彼が生前遺した「鼠小僧次郎吉-江戸の巻」を、『銀河鉄道999』『幻魔大戦』の日本が誇る アニメーション監督・りんたろうがサイレントアニメーション化した「山中貞雄に捧げる 漫画映画『鼠小僧次郎吉』」。
第1回新潟国際アニメーション映画祭でワールドプレミア上映され、フランスのアヌシー映画祭、リュミエール映画祭での上映を経て、今年9月にアメリカ・ロサンゼルスで行われた日本映画祭にて最優秀アニメーション賞を見事受賞。国内外の映画祭での上映が相次ぐなか、11月23日(土)よりユーロスペースで上映がスタートした。
公開2週目の日曜日となった12月1日【りんたろうMEETS山中貞雄】『鼠小僧次郎吉』+『河内山宗俊』の上映終了後に、りんたろう監督とプロデューサー・丸山正雄氏が登壇し、スペシャルトークが行われた。
日本アニメーション業界の伝説が揃い踏み!手塚治虫の虫プロダクション時代からの盟友であるりんたろう監督と丸山正雄プロデューサー。「2人とも1941年生まれの83歳。60年以上お互いにアニメの仕事をやってきて、『そろそろ、だよな』というのがあって。長編はありえないし、遺作ってのも照れくさいし。勝海舟のいうところの辞世の句『これでおしまい』というのを作ろうと。なぜ山中貞雄かというと、僕も丸山も日本の映画ってサイレント映画があって、トーキーになった。映画の全てはここにあるんですね。アルフレッド・ヒッチコックが『サイレント映画というのは映画の純粋な形式だ』と一言言ってるんですけど、まさにあの時代の映画の手法が今の時代に全部活きてる。それを今の若い人たちが誰も知らないんですよ。これをリスペクトするのが僕らの仕事。アニメで初めて、山中貞雄という当時28歳の天才といわれた監督の対するオマージュを、あえて【 漫画映画】で作ろうかと言って2人で始めたのがきっかけだね」とりんたろう監督。
「シナリオそのままやると長くなる。今僕らの体力と気力と何よりも筋力でいうとできるのは短編だよねということで。山中さんの映画ってのは3作しか残ってないんですね。シナリオだけは残ってて。その中から短編で処理できるのが『鼠小僧次郎吉』だったんですが、僕もりんたろうも鼠小僧が大好きで。義賊、庶民であること。それは山中貞雄が常に侍ではなく市井のキャラクターを描いている。そういうところが非常にフィットした」との丸山氏の言葉にりんたろう監督も「そうだね。一言で言えば反体制的ですよ。反体制ってのは僕らの唯一のパワーであって、体制になんか絶対に靡かないっていう心情があった。時代と共に映画そのものがずいぶん変わってもきました。当時僕らはそういう形で山中貞雄を引き継いだというか、彼の志を我らなりに受け取った」と語った。
60年以上にわたり アニメーション業界を走り続けてきた2人だが、トークでは2人の出会いなども語られた。「虫プロダクションで『鉄腕アトム』を作った後に、メインスタッフは『ジャングル大帝』を作ることになったんです。手塚治虫さんはそこに入らなかったから、『W3』を漫画を連載してその後アニメで作った。でもスタッフは誰もいなくて『ジャングル大帝』に行っちゃう。そこでクズのスタッフだけ集めてやっちゃうというかなり無茶なことをやってた。そのクズの方の1人がボク、向こうにエリートの山本暎一、りんたろう、真崎守がいた(笑)」と丸山氏が自虐気味に振り返ると「全然クズじゃないですよ、クズっぽく見えるだけで」とりんたろう監督が返し、会場からは大きな笑いが。虫プロ時代は400人ほどの社員がいたそうで、面白い企画をどんどん出さなければいけない時代。「僕と丸山で考えて面白い企画を立てたんですよ。ところが総スカンを食った。『ハレンチ学園』という作品だったんですけどね」とまさかの手塚治虫のお膝元で永井豪作品の企画を立てるとは何事だ!との雷も落ちたらしい。「子どもに見せるための善良なアニメを作っている時代ですから、その時 漫画界はもっと先を行っていた。『これはすげえなあ、こんなの向こうのエリート軍団はわかんないよ』と思ってたらりんたろうさんがきて「これ面白いよな」と言われて。それからですね、りんたろうを見直してしまって(笑)」と丸山氏。虫プロは経営難で消えていくことになるが、「あそこから間違いなく日本の アニメーションは大きく変わったと思うんですよね。手塚治虫は日本のアニメーションのオピニオンリーダーと言っても過言ではない」とりんたろう監督は語る。
そこから丸山氏はマッドハウスを設立、「幻魔大戦」「カムイの剣」といった作品で黄金時代を築いていく。「考えればマッドハウスってのは本当に蜘蛛の巣城みたいなもんで。大友(克洋)くんに言わせれば『いいとこですねー九龍城みたいで』って(笑)でもいろんな人を輩出していったね。不思議な集団ではあった」とりんたろう監督。「映画に対する情熱というのかな、みんなそれぞれがそれぞれの想いを持ってる、そんな時代だったんだなって思いますけどね。今はちょっと時代が変わってきて、情熱というものを感じることが難しくなったけど、映画って生き物で、どんどん変容していくんでしょうし、やがてAIが入ってもっと違った方向へ行くんでしょうけど、僕らの時代は面白かった。“昭和無頼”っていうね。いろんな苦労はありましたけど、暴れ回ったってことはありますよね」と振り返った。
また、サイレントムービーに対するオマージュが詰め込まれた本作だが、特に背景美術での技術について語られる場面も。りんたろう監督からのオーダーは“浮世絵っぽく、日本画のような背景”。美術スタッフには「絵筆は一切使わないでほしい」「版画でいう彫り師・刷り師になってほしい」というオーダーがあったそうだ。よく見るとグラデーションにうっすら板目が入っているので、ぜひ注目してほしい。
対して動きにおいてはコンピューターとは関係なく、「反時代的なくらいに アニメーションが持ってる姿、飛んだり跳ねたりではなく抑制の効いたスタイル。日本画独特の線の描写、これは日本のアニメーションでしかできない独特の画力なんですよ。それを最後まで通したい。この画力・この線はデジタルでは絶対出ないんです。あれはやっぱり人間の感情を込めた線が強弱を込めてスッと引くからできるもの。地味ですけど、そういうことには挑戦しました」とりんたろう監督が制作を振り返った。
山中貞雄がかつてノートの片隅に描いていたパラパラ 漫画が上映されるとりんたろう監督も丸山氏も感嘆。実物はかなり小さいものだが、実際に動かしてみると棒人間がチャンバラの動きをし始めるのだ。
「映画ってサイレントから始まったってことを知ってもらえたら満足です」というりんたろう監督、それに対し丸山氏は「この中でりんたろう監督はやってはいけないことを2つやっております。一つは山中貞雄なのに「幕末太陽傳」でフランキー堺が羽織を宙に浮き上げて袖を通す、実写ではできないけど、アニメーションだからそのシーンをやっちゃったという悪戯心がボクは大好きです。尚且つこのシナリオに全くないシーンが1箇所だけあります。そこだけ部分カラーで、溝川を赤い風船が流れてくる、これは『人情紙風船』のシーンをオマージュとしてエンディングにちょっと流している洒落。これはりんたろうならではの「山中さんゴメンなさい!」みたいなもの。とっても素敵なこの2箇所が大好きです」と丸山氏が語ると「褒められたんだか貶されたんだか(笑)」とりんたろう監督もぼやき、会場も温かい笑いに包まれた。
キャスト&スタッフ
脚本:山中貞雄
脚色/監督:りんたろう
キャラクターデザイン:大友克洋
作画監督・キャラクターデザイン:兼森義則
音楽:本多俊之
プロデューサー:丸山正雄/真木太郎/Emmanuel-Alain RAYNAL /Pierre BAUSSARON
キャスト:小山茉美
アニメーション制作:スタジオM2
製作:ジェンコ/Miyu Productions