「いちばん逢いたいひと」という奇跡の感動作は、AKB48チーム4のキャプテンである倉野尾成美が映画初主演を務めました。この映画は実話を基に、白血病を克服した少女と、彼女のドナーとなった男性の数奇な運命を描いています。
2月25日(土)には、映画の公開記念舞台挨拶が行われました。倉野尾成美さんのほか、楓の祖父役を演じた不破万作さん、白血病で娘を亡くした経験からドナー登録をした柳井役の崔哲浩さん、楓の母・佳澄役の高島礼子さん、監督・脚本・出演の丈さん、そして自身の娘が白血病にかかり、自身も骨髄提供者となった経験を持つプロデューサーの堀ともこさんも登壇しました。
倉野尾成美さんは、「ONE PIECE」の主人公ルフィ役の声優である田中真弓さんとの共演について感想を述べました。また、映画の中でAKB48のヒット曲「恋するフォーチュンクッキー」を披露することになった経緯や、崔哲浩さんが役作りの一環で「挨拶もしない」としていたが、中村玉緒さん演じる母役が挨拶に来てしまい、結果的に仲良くなってしまったというエピソードなどについても話されました。高島礼子さんも、撮影中のインタビューで不破さんの姉が白血病で亡くなっていたことを知り、驚いたことを明かしました。
倉野尾成美さんは冒頭で、「この作品を多くの方に観ていただきたいと思っていたので、全国で公開される日が来てとても嬉しいです」と述べました。
堀ともこプロデューサーは、広島の美しい景色と丈監督の素晴らしい脚本が見事に調和し、笹川家と柳井家族の対比が素晴らしい作品に仕上がったと語りました。彼女自身の娘が白血病にかかり、骨髄ドナーのおかげで助かった経験から、白血病についての映画を作ろうと思った理由についても語られました。
堀ともこプロデューサーは、娘が中学1年生の時に急性リンパ性白血病にかかり、骨髄バンクを通じて骨髄移植を受けることができました。しかし、隣の無菌室でドナーが見つからず亡くなってしまった少女の存在を知ったことに深く考えさせられました。娘が助かって幸せな一方で、なぜ助からない子との間に差が生まれるのかという疑問を抱きました。そして、もし多くの人がドナー登録をしてくれていたら、その少女のドナーになっていたかもしれないと思いました。自分の経験を多くの人に知ってもらい、少しでも興味を持ってもらいたいという思いから、映画を制作することに決めたのです。
倉野尾成美さんは、楓の子供時代を演じた田中千空(ちひろ)について絶賛しました。幼少期の役柄で一緒に撮影することはありませんでしたが、台本読みの時間が非常に大切な時間だったと述べました。田中さんは堂々とした演技をしてくれたため、倉野尾さんは彼女の演技を手本に頑張ろうと思ったと語りました。
また、今作では「ONE PIECE」のルフィ役や「天空の城ラピュタ」のパズー役で知られる田中真弓さんが役者として出演しています。倉野尾さんは、夢が叶った喜びを感じつつも、「ONE PIECE」が大好きでルフィのセリフに励まされてきたため、彼女の存在自体が神のような感覚であり、プロの姿勢で臨むことにしましたとコメントしました。
倉野尾さんは劇中でAKB48のヒット曲「恋するフォーチュンクッキー」の振り付けも披露しています。彼女は撮影中に緊張している同級生役の子たちをほぐすためにこの曲を使用したと語りました。丈監督も、「恋するフォーチュンクッキー」風の曲を作曲家に依頼したと明かし、著作権に触れないようにしたと裏話を披露し、笑いを誘っていました。
また、不破万作さんが楓の祖父役を演じ、大森ヒロシさんが楓の父役を演じていますが、実際に彼らは白血病で家族を亡くしています。高島礼子さんも、制作発表の際に不破さんと大森さんが白血病の経験を持つ家族がいたことを知り、彼らが明るく演じていることに感心しました。彼らが家族のために明るく振る舞うことが必要だという思いがリアルに伝わってきたと述べています。
脚本・監督の丈さんは、白血病で娘を亡くした経験から、映画の中でドナー登録者を演じた崔哲浩に対して感謝の気持ちを持っています。丈監督は中村玉緒さんとのシーンで、崔くんが感情を高ぶらせるシーンがあったため、崔くんは「玉緒さんに会いたくない」と言っていました。しかし、撮影当日に崔くんが一人になっているのを見た中村玉緒さんが心配し、崔くんの元へ行って話し合い、結果的には協力して撮影が進んだエピソードを明かしています。
監督の丈は、本作の見どころについて「感情のぶつかり合いや感情の爆発するシーンがいくつかあります。なるちゃんや崔くんも同様で、それは役者たちの魂の叫びと言えるものです。ぜひご覧いただいて、その迫力を感じてほしいです」と語りました。
高島礼子さんは介護の経験があり、来場者に対して「無理をしないことが大切です。甘えることは全然悪くないんですよ。日本人は自分一人で頑張ろうとする傾向がありますが、介護の道にぶつかった時には、甘えることを意識してほしいです。私自身も5年間くらい頑張りすぎて、体調を悪くしました。でも、先輩から『無理する必要はない』と言っていただいて心が軽くなり、甘え上手になりました。みんなで協力して介護に取り組みましょうね」と呼びかけました。
不破万作さんは、自身の姉が約35年前に白血病にかかり、当時は骨髄バンクが存在しなかったため、姉が亡くなってから3年後に骨髄バンクができたと話しました。「骨髄バンクは非常に重要だと思います。私たちは兄弟や親戚全員で血液検査をしましたが、適合する人はいませんでした。その後は抗がん剤しか手段がなく、落ち込みましたが、骨髄バンクがあれば堀さんのお嬢さんのように助かる可能性もあります。ただし、骨髄バンクへの登録は55歳までなので、私はもう遅いですが、皆さんは若い方が多いので、ぜひ登録をお願いします」と、ユーモアを交えながら訴えました。
配給:渋谷プロダクション
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