テレビ放送50周年を記念する特別企画が始動中の『宇宙戦艦ヤマト』。プロジェクト第1弾として、10/6に新宿ピカデリーにてシリーズの大ファンを公言する庵野秀明氏の企画・プロデュースによる一夜限りのスペシャルイベント『宇宙戦艦ヤマト』放送50周年記念上映会が開催され、庵野氏を司会に、出渕裕(メカニックデザイナー・監督)、氷川竜介(アニメ・特撮研究家)登壇。熱いトークが行われ50周年を記念した新情報も発表。
トークのラストには会場全員で主題歌を大合唱し、ヤマト愛あふれるイベントは大いに盛り上がり幕を下ろした。
「宇宙戦艦ヤマト」テレビシリーズ第1話「SOS地球!甦れ宇宙戦艦ヤマト」が放送されたのは1974年10月6日19時30分のこと。今年はテレビ放送50周年という節目の年ということで、企画・プロデュースを担当した庵野秀明氏の希望により、ちょうど50年後の同日同時刻にテレビシリーズ第1話が上映された。上映後には庵野氏を司会に、出渕裕氏(メカニックデザイナー・監督)、氷川竜介氏(アニメ・特撮研究家)をゲストに迎えたトークイベントが開催された。
今回は幻の8mmフィルム版「宇宙戦艦ヤマト」をスクリーン初上映。「当時、この8mm版は高くて全然買えなかった」と笑う庵野氏だが、会場にはこの幻の8mm版を鑑賞したことがある、というコアなファンもチラホラ。その一方でこの日が初の「宇宙戦艦ヤマト」だという若いファンも多数来場しており、出渕氏も「若い人がいるじゃない! ありがとう!」と感激の表情。庵野氏も「よかった。ヤマトを知らない人が来てくれたのはうれしいですね」と安どした様子だった。
あらためてテレビシリーズの1話について、「再放送を観て、1話がすばらしいと思いました。とにかく説明もなくて、(なんだろうと思わせて)つかみはオッケー。途中で(敵艦の威力を目の当たりにし撤退するために)沖田艦が帰っていくところがあるんですが、そこから現状が説明されていく。そのあと、ヤマトの部分を予感させながら、最後の沈没船のところまで引っ張っていくという。この構成はすばらしいですよ。そして(ポスターデザインにもなっている沈没したヤマトを指して)ラストにこれが象徴的に出てくるのがカッコいいんですよ」と語る出渕氏。氷川氏も「当時はテレビマンガの時代なので、“説明がない”というのはありえないことなんですよ」とヤマトの革新性を語る。
一方の庵野氏も「2話はとにかく森雪の『とても立派でしたわ』。このセリフでしびれました。あの言い方がとても大人の感覚ですばらしいですよね」とヤマトにハマった魅力について語ると、「それとヤマトの沼にハマったのは第2話の友永和秀さん(映画『ルパン三世カリオストロの城』『銀河鉄道999』などでも知られるアニメーター)の作画。あれにやられました。本当に責任をとってほしい。友永さんのせいですからね!(笑)」と冗談めかして会場は大笑い。出渕氏も「こんな話をしていると永遠と続けられるね」と笑いながら付け加えた。
複数あった「宇宙戦艦ヤマト」ファンクラブのひとつで会長を務めていた氷川氏は、放送中に同作の制作スタジオであるオフィス・アカデミーへ見学に行き、廃棄寸前だった同作の脚本、絵コンテ、台本、原画、セル画、背景、設定などの資料を譲り受けたことが、研究家としての原点となった。「消えてしまう資料をなんとか後世に残さねばという思いでした」と切り出した氷川氏は、「このアニメって何か行動をしなきゃいけない気にさせられる作品なんですよ」と力説。「それは分かります」と語る出渕氏も、「だからこそ50年経っても残していかなければいけないということにもなるし、何か人に伝えたいと思うんですよ」とその意見に同意。さらに庵野氏も「なんか語りたくなる作品なんですよね」としみじみ付け加えた。
そしてこの日はもうひとつの貴重映像となる、テレビシリーズのノンテロッ
プ版のOP/ED映像をスクリーンで上映。「これは本当に探していたんで、これを見つけた時は感無量でしたね。『ないと聞いていたのにあるじゃない!しかも3つも』という感じでした。それで中身を確認したところ、1話と2話のバージョン、それと21話以降のバージョンがあって。そこに氷川さんが制作スタジオからカット袋ごと譲り受けた幻のカット(「カット5」)を撮影して付け加えてみました。このカットをなかなか表に出せる機会がなくて。今回ようやく許可をいただくことができました。幻のバージョンです」と興奮気味に話した。
その貴重な映像をスクリーンで上映し、ヤマトファンと共有した氷川氏は「50年保存し続けていたものが世に出せてよかった。現場が解散すると産業廃棄物として消滅してしまうものなので。それは人類の損失だろうと思ったんです」と感慨深い様子でコメント。そしてアニメや特撮に関する様々な資料を保全する認定NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)を設立した庵野氏も「ATACを作ったのも、僕らがこの世の中からいなくなってからも、貴重な資料が残るようにというのがあった。個人で持ってても、僕がいなくなると、それでなくなっちゃったりするんで。だからコレクションじゃなくて、資料をとっておくということですね」と後世にアニメ文化を残すことの意義をせつせつと語った。
そんなヤマト50周年を祝福するトークは終始大盛り上がり。終盤には50周年を記念した新情報を発表することになった。そこでは庵野氏セレクトのテレビシリーズ放送50周年記念セレクション上映の開催、コミックや画集などの出版企画、そして2025年3月開催予定の「宇宙戦艦ヤマト展(仮)」などが発表された後に、庵野氏が代表を務める株式会社カラーが、西﨑彰司氏が代表を務めるボイジャーホールディングス株式会社より、「宇宙戦艦ヤマト」をベースとした新作アニメ映像を制作する権利を付与されるとともに、株式会社東北新社から著作権の利用について許諾を得たという発表を聞いた観客からは拍手が。
「ひらたくいうと、僕が『ヤマト』の新作をつくれるようになったということです」と語る庵野氏は、「このことは事前にネットとかで出すのではなく、ここに来てくれる方々に、これを言いたかったんです」とその思いを明かす。さらに「内容は触れられないのですが。現在公開している『ヤマトよ永遠に REBEL3199』に連なるリメイクシリーズとは異なる航路を進む作品です」と説明を付け加えた。
そして最後に「50周年は今日がピークとかファイナルでなく、これがはじまりなので。これから盛り上げていきたいと思います。それでは最後にオープニング映像を上映するので、みんなで一緒に歌いたいと思います」という庵野氏の呼びかけとともに、会場全員で「宇宙戦艦ヤマト」主題歌の大合唱。ヤマト愛あふれるイベントは大盛り上がりのうちに幕を下ろした。